古鏡展
戦国時代
漢時代

随時代

唐時代


蟠ち文鏡彩画狩猟・樹下遊楽図文鏡羽状文地四葉文方鏡雷文鏡半肉彫龍文鏡星雲文鏡重圏銘帯鏡
方格規矩四神鏡
方格規矩四神鏡
方格規矩文鏡
細線獣帯鏡
半肉彫神仙獣帯鏡
盤龍鏡
き鳳文鏡
神人歌舞画像鏡
神人龍虎車馬画像鏡
四獣画像鏡
神人騎馬画像鏡
狩猟文画像鏡
孝子伝図画像鏡
伯牙弾琴龍虎鏡
建安十年重列神獣鏡
重列神獣文鏡
環状乳神獣鏡
三段式神仙鏡画文帯同向式神獣鏡
 
狩猟文画像鏡
狩猟文画像鏡

大きな鈕の回りの環状のスペースを4等分して、狩猟の場面が描かれている。写真下のスペースに は2頭立ての天蓋(てんがい)のない戦車風の馬車が見え、右にたづなを執(と)る御者(ぎょしゃ)、左に三山冠(さんざんかん)を被(かぶ)る主人の姿が あり、後ろには2本の矛(ほこ)が突き出ている。よく見ると主人の左右の肩が盛り上って羽毛(うもう)の形に表現されており、この人物が通常の人間ならざる神仙であることが理解できる。東王公の可能性がある。
残りの3区画では騎馬の人物が、駆ける馬の上から獲物(えもの)の動物を弓矢や矛でしとめようとしている。 馬上から後ろを振り向いて弓を射る人物が2人いるが、これはパルチアンショットと呼ばれる独特の 射法で、古くはペルシャ王がライオンをしとめる勇壮な場面などにも見られる。
画像鏡には狩猟の光景を描いた例もかなり見受けられるが、このように内区全体を狩猟の場面で埋 めることは稀有と言える。


孝子伝図画像鏡
孝子伝図画像鏡
内区の4区画の内の2つは通常の車馬と歌舞(雑伎(ざつぎ))の光景であるが、残りの2区画には3つの傍題(ぼうだ)があり、孝子伝より採られた図像であることが知られる。
曽子(そうし)は孔子の直弟子で孝行者の象徴であり、ここでも跪(ひざまづ)いて拱手(きょうしゅ)し、恭順の姿に描かれている。その右の母は織機(おりばた)に坐して後ろを振り返っている。曽子にまつわる故事の一場面を描いたものである。曽子と 同名の異人が殺人を犯し、人違いしたあわて者が曽子の母に知らせた。母ははじめはその知らせを信じな かったが、三人目の人が知らせに来るとさすがに動揺して、機(はた)を織る杼(ひ)を手から落としたという話である。
曽子の左には閔子騫(びんしけん)の父がいる。閔子騫も孔子の弟子で、曽子と並ぶ孝子の代表者である。自分に冷た くあたった継母(ままはは)とその子(義弟)を許して愛情を注ぎ、事実を知って離縁しようとした父を諫(いさ)めた話で 著名である。閔子騫自身が描かれないのはスペースの関係であろう。山東省嘉祥(かしょう)県の武氏祠(ぶしし)画像石に 描かれる孝子伝図17 種のうちに、この両者が同一の配列で相並んで描かれていることが注目される。
画像鏡の文様は、神人龍虎・神人車馬・神人歌舞などいずれも神仙世界を表現したものである点で 共通点があり、これはまた後漢代の鏡の文様全般を通した特色でもある。その意味からも、儒教的背景を持つ孝子伝の図を鏡の文様とすることは異例中の異例と言えよう。何か特殊な用途があったので あろうか。




     
All Rights Reserved by Murakami Corporation