みえる安心の明日を照らす140年の歩み

明治維新から、わずか10数年。文明開化の熱い風が日本中を包み込んでいた1882年に、村上開明堂の歴史は幕を開けました。
創業者村上伊三郎と「板硝子」の出会い、鏡の製法の確立、そして戦後復興と歩調を合わせた自動車産業への挑戦──。
時代を超えて「人の役に立つ」ことを追い求め、社会とものづくりの発展に貢献してきた140年の歩みを振り返ります。

文明開化の熱気を映して。村上開明堂の産声

※敬称略

1882

社史開明堂 創業

静岡市七間町に「開明堂」を創業。錺(かざり)金具とブリキ細工が主な製品で、初代村上伊三郎と徒弟3人による船出であった。

1882

製品錺(かざり)金具

漆器に使われていた錺金具が、村上開明堂の最初の製品である。当時漆器は輸出が盛んになっており、付属する金具類の製造も全盛を迎えた。
錺(かざり)金具

1887

社史板硝子(ガラス)との出会い

鉄道工事用カンテラの製造をきっかけに、板ガラスの取扱いを開始。建築用板ガラスの卸販売に拡大していく。

1887

製品手提げ角灯(カンテラ)

静岡県に鉄道が通ることになり、東海道線の鉄道工事用として手提げ角灯(カンテラ)を受注。製造販売を開始した。ブリキの枠組みに、当時貴重だった輸入板ガラスを使用しており、これが村上開明堂とガラスの初めての出会いとなった。
手提げ角灯(カンテラ)

1892

製品輸入ランプの販売を開始

舶来ランプの輸入販売を開始。静岡では「ランプといえば開明堂」と言われるほど繁盛し、侠客清水次郎長もランプを求めに立ち寄ったという。
輸入ランプの販売を開始

1897

社史大型鏡台の普及のはじまり

明治30年頃から普及しはじめた西洋鏡台。当時、大型の鏡は国内での製造が難しく、鏡台の製造には制限があった。
大型鏡台の普及のはじまり

1897

製品鏡の製造を開始

二代目伊三郎が水銀焼付け法を学び、板ガラスを鏡に加工する技法を確立。鏡台などに使われる大型鏡の生産を実現する。
鏡の製造を開始

1914

社史店舗改良で地域経済の活性化に貢献

静岡市商店改良競技大会で、七間町の店舗が三等賞を受賞。
店舗改良で地域経済の活性化に貢献

1920

製品ガラス加工技術の拡充と輸出の拡大

宮本町工場を拡大し、生産を多角化。ガラスの艶消し・模様・水摺り・ステンドグラス・モザイクグラス・エッチンググラスなどの加工を開始。朝鮮、満州などへの輸出も拡大していった。
ガラス加工技術の拡充と輸出の拡大

1923

社史板ガラス販売事業の拡大

日本の板ガラス製造の二大メーカー、旭硝子株式会社(現AGC(株))と日本板硝子株式会社の両社と特約店契約。三代目伊三郎を中心に、板ガラスの販売を大きく拡大していった。
板ガラス販売事業の拡大

1924

社史宮本町鏡工場を稼働

静岡市宮本町に鏡の銀引・面取工場を稼働。鏡の本格的な生産を開始する。
宮本町鏡工場を稼働

店舗の変遷

大正3年7月 静岡市商店改良競技会で三等を受賞
大正3年7月 静岡市商店改良競技会で三等を受賞
昭和初期の店舗
昭和初期の店舗
昭和10年頃 看板を二階に取り付けた店舗
昭和10年頃 看板を二階に取り付けた店舗
昭和15年1月15日 静岡大火直後の復興仮店舗
昭和15年1月15日 静岡大火直後の復興仮店舗
昭和16年 新築落成した店舗
昭和16年 新築落成した店舗